【十二と時針シリーズ】未一つ

最近よく昔を思い出す。そう言うと決まって歳をとったのだなと笑われる。

「おかしいね。あたしと同い年なのに」
そう、まさしくこんな風に。
「たとえ本当におかしいとしても、笑われるのは気分がよくないね」
「ごめんごめん。でもまあ、命を取られるよりは歳をとったほうがマシだよ、きっと」
そう言うと、隣に座る彼女は身体を頭上に伸ばした。空に浮かぶ太陽を掴もうとしているかの如く、大きくゆっくりとした動作だった。決して身長が大きいと言いたいのではない。大きいのは彼女の背格好ではなく彼女の態度だ。
ふと思う。太陽の下に出るのはいつぶりだろうか。公園のベンチに座ったのなんて、もしかすると生まれて初めてかもしれない。ここまで言うとどんな人生を送ってきたのかと不思議がる人も出てくると思う。どれだけインドアだったのかと再び笑いたくなる人もいるだろう。
しかし、本当のことだから仕方ない。なにせ二年前の今日、僕は人間じゃなくなったのだ。
別の言い方をすれば、そう、生まれ変わっている。
満月が不気味なほど綺麗で、何も知らなかったあの日の夜。
ただバイトから家へ帰っている最中にこちらの世界に巻き込まれ、挙げ句の果てには請負人の業務を前任者から引き継ぐ、それこそ請け負うとは夢にも思ってなかった。
「命を取られるだなんて君は物騒なことを言う」
自分の口から出た声は不穏な言葉とは裏腹に、いつにもまして平坦だった。理由は特にないけれど、はてどうしてだろう。
すると横に座る彼女がいやいやいや、と否定する。ああ、僕はこの人と会話をしているんだった。疑問を頭の片隅に追いやり、会話に戻る。
「昨夜、というより三時間前の出来事はまさしく修羅場ってやつだよ。死線を潜り抜けたってやつだよ。馬頭のお頭が偶然遠出してて、若頭が交渉に出てきたからよかったものの、そうじゃなかったら今頃私たちは今頃打ち首で晒し首だったよ。食べられてたよ、きっと」
「そうだね」
他人事のように返しまったけれど、そうか、この話は僕自身のことだった。であれば返答は適切ではなく間違っている。しかしどうでもいいことなので気にしない。気にするべきは彼女の心内だった。察するに、『随分と他人事だなぁ。そりゃまあ人じゃないけどさ』というところか。
「他人事のつもりはないよ」
「……前から思ってたけどその読心術も含めて君は本当に人間味がないよね」
「人間じゃないから当然じゃないのかな」
「いやそういうことじゃなくてさ、なんていうの、浮世離れしてるってこと。人情味がないとも言えるかもね。ああ、もちろん君を食べたときの味の話でもないよ」
「そうですか」
「君はとても淡白だろうね」

そういえば、と彼女が切り出す。
「あんたって全然言葉遊びしないよね、まるっきり微塵も。おくびにも出さない」
「代わりに出すのはあくびくらい、って言いたいのかな」
「本当にその読心術やめて。話辛くなるから」
彼女は顔を露骨に歪めて言った。そういうところが嫌いと言わんばかりの歪みっぷりだった。であれば僕と話すことなんてやめればいいのに、と思ったのだが事情が事情なので指摘することはしなかった。それよりも言葉遊びを止める方が何倍も簡単だ。まあ、どうせやめないとは思うけれど、一応頼んでみることにする。
「言葉遊びをやめてくれたら、こちらもやめるよ」
「むしろどうしてやらないの?」
「まるで須く言葉遊びをすべきといった言い方だね」
「いやまあそういうことじゃないけど、ほら、あの子たちは遊ぶのが好きでしょ。それでこっちも調子を合わせていると、えてして癖になっちゃうとしてもおかしくないよ、きっと」
じゃあ僕は彼らのことが好きじゃないので当然だ、とはさすがに彼女の前では言えなかった。自分の寿命を削ってまで彼らを守る、彼女の前では。
彼ら。人ならざらぬもの。
僕や横に座る彼女のような元人間ではなく、純血で純粋な個体。
物語では様々な名称で登場し、説明が為されている伝記も数知れず。中には人を襲うものがあったり、天変地異を起こしてしまうものがあったり、はたまた人を超越したものがあったりする。妖しく怪しいと書く彼らは人外として畏怖される。
しかし、
「あのさ、また話を変えて申し訳ないんだけど」
「構わないよ」
「墨ちゃん死んじゃったって、聞いた?」
しかし、それらはすべてまやかしだった。
「一応触りだけ。神社の境内の縮小で、神通力が届かなくなったと聞いたよ」
「そう。実は神通力に関しては私が天狗衆にお願いしに行ったんだよね。でもほら、あそこは雷と相性が悪いというか毛嫌いしている節があって、相手にしてもらえなかった。中には手を貸してくれるって言ってくれた天狗もいたんだけど、若天狗未満だったから気持ちだけもらっておいた」
「それは残念だ」
「……ほんと、いなくなるときは一瞬だよね。人間も妖怪も」
彼らは繊細で、ひ弱で、それでいて寂しがりやだった。表向きの豪華で豪勢な豪華絢爛とも言える数々の言い伝えは、言わば強がりで出来た合成なのだ。
そして、僕らにできることはほとんどない。人の死を捻じ曲げることができないのと同じように、妖しく怪しい彼らの終わりを操ることはできない。できるのは––––
「だけどさ、負に落ちない点がいくつかあるんだよね」
「……」
言葉は返さない。しかし、ぴくりと僕の眉が動く。動かしてしまう。それだけで彼女曰く返事としては十分だったらしい
「ちょっと話を聞かせて欲しいんだけど」
「いいよ。ただなぜ今になって急に聞いてくるのか、教えてくれるかい」
「言えない」
そっか、と僕は空を見上げる。まるで断られたことを気にしているような振る舞いだが、答えは得ていた––––導心問。聞いた時点で回答は成立する。先ほどの質問の返答を勝手にもらう。
時すでに遅しされど海。気づいた彼女が心に神通力の幕を下ろしたので、誘導心問は一度きりの手段となった。これ以上の情報を得るには本当に誘導尋問をするしかなく、僕にはそうしなければいけない請負人としての責務がある。
にしても化け猫の長詩。聞いたことのない名前だ。あとで調べることにしよう。
やけに大人しいね、と彼女は冷たい声音で言う。ああ、またやってしまった。こちらに集中しよう。
「もっと騒いだりすぐ否定したりするものだと思ってたけど」
「話そうと言われて断ることはしない。聞きたければいくらでも話そう」
「あんたってさ、優しそうに見えるだけだよね」
僕はそこで今日初めて、くすりと笑った。