「こんな時間にどうしたんだ」
「こんな時間とはなんじゃ。いつものことじゃろう」
「まあ、そうだが」
俺は寝癖まみれの頭を掻きながら悪態を吐いた。家にはいろんな奴がくるが、大体が早朝か深夜。それも連絡無しに突然来る。今も虫の音色さえ死んだ深夜三時半だ。こんな時間に訪問してくる人物には三行半を突きつけてやりたいところだが、俺の立ち位置的にそもいかない。それ以前に、こいつらは人間じゃないので受け取ってももらえない。
「で、用件はなんだ」
俺の問いに、年端もいかない少女は肩を竦めた。
「なぜそのように生き急ぐ。人というものは相変わらずわからんな」
「お前たちのように幽玄の刻を生きられるわけじゃないからだ。こうしている今も、着実に俺の睡眠時間は減っている」
「詫びを入れるつもりはないぞ。時は経るものだから当たり前じゃ。それと儂も諸行無常の中に生きる存在じゃぞ。勘違いしてくれるなよ」
堂々たる物言いだが、この年端もいかない少女は誰かに会いたかっただけなのだ。用件などあるはずもなく、ゆえに述べられるわけもない。とはいえ、詫びの代わりにいただく気持ちとしては充分だ」
「ここで立ち話をするのあれだから、とりあえず上がれ」
「いいのか?」
「腐ってもお前は客人だ。玄関先に留めておくのは忍びない。俺の評判にも関わるしな。早くこい」
「なぜ生き急ぐ」
俺は先ほどの少女と同じように肩を竦めた。「堂々を巡るなら一人でしてくれ」
「いつ来ても人っ気のない部屋じゃ」
リビングに入るなり年端もいかない少女は顔を顰めた。その表情は、まるで人気の観光地だと連れてこられた場所に案外見どころがなく、結局売店でソフトクリームを食べるだけで終わった小学生のようだった。
押すほどではないが、念のために言っておくと俺の家は見るからに古ぼけた日本家屋だ。とは言っても、家具や家電など置いてあるものはもちろん普通だ。現代社会で江戸暮らしをするつもりは毛頭ない。
客人のためにお茶を入れていると、ふと気づく。人の気配がないのは、年端もいかない少女を始めとした訪問者らのせいだ。
「お茶請けは何がいい?」
「菓子請けがお茶であれば何でもいい」
困る返答だ。仕方がないので、適当なアソートの詰め合わせをそのままガラスのボウルに入れて出すことにした。
膝ほどの高さのテーブルを挟んで、俺と少女は向かい合う。月明かりがやけに綺麗で、部屋の電気は点けるのを忘れた。
少女は淹れたばかりのお茶を温そうに啜る。「お茶だけはうまい」
「お前はいつも一言余計だ」
「お茶だけ」
そう得意げに言い放った少女は、当然の権利とばかりにテーブルの上の菓子に手を伸ばした。そこまでは別に何とも思わなかったのだが、あまりにも横柄かつ乱暴に菓子たちを掴んだので、俺は手の甲を軽く叩いた。全部取ろうとする馬鹿がどこにいる。
少女が吟味に吟味を重ねて菓子のほとんど取ったあと、余ったものから一つ取る。手の中にあったのは白いチョコだった。
「最近の調子はどうなんだ」
「三三七拍子ってところじゃな」ずず、とお茶の音。「面倒じゃ。面倒しかおらん」
「生きるとはそんなものだ」
「貴様に言われると腹が立つな。今ならお茶が沸かせそうじゃ」
「お湯を沸かしたことなんてないだろう。お前はいつも口だけだ」
少女はしてやったり、と細長いお菓子で俺を指した。「誰が立つのは腹だけと言った?」
結局俺は、日が明ける直前までこの少女と他愛もない話をした。最近は寒いこと。日が沈むのが早くなったこと。忙しいこと。遊びたいこと。そして相槌を無くしたこと。
「そのせいで相槌が打てなくなったのじゃ。はて、どこに忘れたのか」
「だから最近、他人の話を楽しそうに聞いていないのか。いつも仏頂面で」
「それはいつもじゃ」
少女は眉間に皺を寄せた。
「しかしな、貴様の話ならまだしも御殿様の前ではそうもいかず、ちょっと困っていたのじゃ」
「俺の相槌は渡せないぞ」
「いや、さすがにそこまで面の皮は厚くない。熱いのは湯飲みの中のお茶だけでよい。強いて言うなら、もし見つけたら拾っておいて欲しいというのが頼みかもしれん」
「それなら熱くないな。呑めるだろう」
俺は空の湯飲みを確かめるように振った。外がぼんやりと明るい。朝が来る。
「助かる。では儂はそろそろ行こうかの。お天道様に見つかるわけにはいかないからな。そういえば最近、馬鹿の魚は来とるか?」
「つい昨日も来た。今日もあと一時間くらいすれば会えると思うけど、待つか? もし待つならお茶請けを追加して、カーテンも閉めよう。そうすれば見つかりもしないはずだ」
「いいや結構。請けるのはお茶ではなく頼みということでまあるく納めてくれ。さてさて、おいとまするぞ」
何を生き急いでいるんだと言いかけたところで、俺は言葉をぐっと呑み込んだ。色々なものが喉を通り過ぎたせいで、朝食を食べられる気がしなかった。
「じゃあ相槌の件よろしく頼むぞ。また暫くしたら温いお茶を呑みに来る」
「その温くない振る舞いだけは忘れそうにないな」
すると年端もいかない少女は満面の笑みを浮かべた。それだけじゃない。これ見よがしに胸まで張っている。しまった――。
「そりゃ嬉しいの。儂は横暴で横柄で横着な態度には自信があるんじゃ」
「よかったな。それで、」
「先日なんて御殿様に褒められてしまったのじゃ。というのな――」
ああ、これは長くなる。俺は悟った。
確かに今思えば、こいつは圧倒的に普段より慎ましやかだった。詰まるところ、失言したこちらに非がある。ゆえに、少々の理不尽は感じようとも、二度寝の時間が消えるのは至極当然のことなのだ。そして難儀なことに、意気揚々と話す少女を止められるような厚かましい性格も、権利も、持ち合わせていなかった。
仕方がない。
俺はそっと懐から相槌を取り出した。