【十二と時針シリーズ】丑一つ

友達を作るのに必要なものと聞かれて、思い浮かぶのはなんだろうか。

共通の趣味。似た境遇。偶然。容姿。特定の繋がり。他人への興味。寂しさ。優しさ。
色々な答えがあると思う。当時、高校二年生の僕もこのことに関してよく考えていていた。何せ大袈裟でも比喩表現でもなく本当に人っ子ひとりの友達がいなかった。
そんな孤独な僕が悩みに悩み抜いて出した先の答えは、金と時間だった。
時は金なりという言葉を真に受けるのであれば、金と金が必要ということになるが、いずれにせよ親から半分捨てられていた僕には持ち合わせのないものだった。ゆえに、友達ができないのは至極当然なことだろうという結論に至り、僕は気にしなくなった。孤独が大丈夫になった。
それがどれだけの強がりか、今になるとよくわかるのだけれどさすがにもう遅い。祭りは終わったのだから。
何はともあれ、ただ当時の僕からしてみれば当然だった。考えてみれば、遊びに行くのにも、連絡を取り合うのにも、部活をするのも、まともに学校に通うことでさえもお金が必要なのだ。裏を返せば、お金がなければこれらのことはすることができない。する資格がないのだ。
強がりな僕は強情にも、これらのことを理解したつもりだった。だからこそ、自分がその立場にいることを認識した上で、精一杯に足掻いていた。今思い返しても当時の頑張りは、清々しいほどに馬鹿馬鹿しい。けれども馬鹿にすることは、たとえ今の僕であろうとできない。人生で一番、愚直に生きていたと思う。

そんなとある夜だった。
「やあこんばんは」
居酒屋バイトの帰り、条例で禁止されている時間を優に超えてから退勤した僕は、月の明かりに従うように高架下を歩いていた。自転車は先日パンクしたばかりで、久しぶりに徒歩での移動中だった。明日には修理をしようと、トートバッグの中には修理キットが入っている。満月がやけに綺麗な夜だった。
「聞こえなかったかな。こんばんは」
目測三メートルの距離にいる女声が淡々と言う。黒い野球帽が、顔を闇に隠していた。
「どちら様ですか」
「うん、模範解答」
気味が悪いことこの上ない。人通りのまばらな道で、真夜中に見知らぬ人間に、野球帽を深々と被った不審者に。後ずさる以外の選択肢は選べない。
するとこちらの行動は予想通りであったらしく、
「それも模範解答。あと逃げるのはよしたほうがいいよ雨乃宮くん。無駄だから」
「っ」
「この状況で駆け出そうと足に力を入れられるのも模範的。そして名前を知られていることを警戒して、力を抜くのもこの場合に限っていえば正答例。走って逃げる選択肢はいつからでも選ぶ事ができるからね。トートバッグの中を無意識的に意識しているようだけど中には防犯ブザーか催涙スプレーかな。今日日そこまで用心する高校生はいないよ。さすがだね」
不審者は何度も頷いていた。当然ながら意味がわからない。僕にはなにもわからない。
黙っていると、ああこっちから喋るよ、とそいつは見透かしたように言った。
「君さ、お金が欲しいでしょ。こっちの仕事してみない?」
「……」
「君さ、お金が――」
「断ります」
「どうして?」
「こ、この状況で受けるやつの気がしれません」
じゃあ気を知ろうか、と不審者は腕を組んだ。「例えば名前を知られていることから、近親者や友達が被害を受けないようにと思慮深く考えたため、とかどうだろう――って君には友達はいないし、親からは育児放棄されているんだっけ。ごめんごめん」
言葉とは裏腹に、不審者は声をあげて笑う。
「ん、反応がないなぁ。いや、どちらかというと反応はあるけれど、好ましくない。つまり、好ましい反応がないと言うべきなんだろうけど。あれ、なんの話をしてたっけ。サバの味噌煮は美味しいけど骨が鬱陶しいよねって話、で合ってる?」
「何が目的――」
「冗談だよ。君がサバサバしてるから、塩対応だから塩味の強い料理を出してみただけさ。えんみ、で思い出したけど君と私って縁身なの知ってた?」
これが証拠だよ、と不審者は一枚のカードを僕の足下に投げた。罠の可能性もあるので目を逸らさずに屈み、そして拾った。一瞥しただけでわかったことはこのカードが免許証であることと、不審者の苗字が自分と同じ雨乃宮であることだった。
「私もこの雨っぽい苗字なんだ。いわゆる遠縁というやつだね。まあ遠過ぎて一度も会ったことないんだけどさ」
「……もし本当に遠縁なんだとしたら、なぜちゃんと挨拶していただけなかったのですか。なにもこんな真夜中に、しかもこんな場所で初対面を済ませなくても。――それともこうしなければ会えないようなやましい理由がありますか」
「うん、ある」
「え?」
あまりの快活な答えに、思わず口から出てしまった。自身のやましさを力強く肯定する人間がどこにいる。
「いやぁさ、私もちゃんと挨拶したいのはやまやまだよ。それこそ街中で『へいそこのお茶屋さーん、お兄ちゃんしない?』みたいな軽妙なトークで硬派な君をナンパしたかったよ。やましい気持ちでやまやまだよ――ってそんな豆鉄砲に鳩が突っ込んだような顔をしないでくれ。人生は山ばかりじゃなくて谷もあるってことさ」
意味がわからなかった。もしかすると今の僕は生まれて初めてレベルで、茫然としているかもしれない。開いた口がそのまま地面に落ちてしまうのではないかとさえ思った。
一方で、少しずつ遠縁らしい元不審者の性格というか話の進め方がわかってきた。
この人はお茶を濁すタイプだ。
「まあそろそろ種明かしをしよう。時間かけ過ぎて種から芽が出たかもしれないけど、発芽米もおいしいし構わないよね。目の付け所が肝心だって言うし。というわけで、というわけなんだけど、」
「……はぁ」
「もう私って雨乃宮じゃないんだよねー」
そっぽを向いて、しかも適当投げやりな口ぶりは、本当のことを言っている証。だとすればこの発言は重要ということになるのだが、どうだろう。何が濁されているのだろう。
普通であれば苗字が変わったことはつまり、戸籍が変わったことを意味する。改名は苗字で確か認められていなかったはずだ。一方で架空の名前、つまりペンネームなどを名前とするのであれば、名義を変えたということになる。
けれども普通の答えは、この普通じゃない状況じゃありえない。
だとすれば――
「別の存在、つまり人間じゃなくなったってことですか」
素晴らしい、と零れた声は一切の混じり気のない、澄んだ声だった。
「聞いていた通り――いや、異常だよ。これだったらきっと仕事もできるはず。やっぱり先にここに来てよかった」
ああ、こっちの話。と元不審者は野球帽につばに手をかけた。
「人生は山ばかりじゃなくて谷もあるってことさ」
「あの、自分で言っておいてなんなんですけど、どういうことですか」
「仕事をしてくれると言うなら説明する」
「じゃあいいです」
「じゃあこっちもこうしてやる」
そう言って元不審者は野球帽を取った。
現れたのは目も鼻も口もない、のっぺらとした顔面で――。

僕には人っ子ひとりの、友達がいなかった。

そう。
僕の友達は、人ならざらぬもの。

「気持ち良い気絶っぷりだことで。じゃあさっさと運んじゃいますかー」
とある夜の出来事だった。